BIKE TIME #life
移動以上の自転車時間。
いつだって静かに人生をともにしている。
ぐらり
ぐらりと傾きながらも、必死に顔を上げて踏みしめたペダル。
後ろで支えてくれていた手が離れても気がつかずに、ぐんぐん進んでいった日を思い出す。
「乗れた!」という歓喜の声を背に、初めて自力で転がしている高揚と自由、止まるのが惜しい気持ち。
ペダルを漕ぐたび、体よりも先に心が前へ。坂道を勢いよく駆け下りるだけで、世界を手に入れたような気分になれた。
過去にも未来にも囚われたくないと思春期の葛藤もそれからも、今を一心に踏み固める勢いで、ただ走りたいときもあった。
永遠のように感じるのに、なぜか急がないといけないような、逆に止まっていてほしいような。
とらえどころのない青春にも似た漂流感。
妙に大人びて感じられた、街頭の下、夜風が肌をかすめていく感触。
大人になった最近もこうして風を切りながら、ふと同じ感覚に包まれることがある。
この一瞬すらもまた時間の記憶に折り重なっていく。
人生の風景
人生の風景に合わせて、自転車はその意味と役割を変容させていくようだ。
移り変わる暮らしと調和していくように、きっと走り方も。
便利な一方でどこか味気ない存在になっていたとしても、時に変化は訪れる。
一人が二人に、二人が家族になる。
後ろについた小さなシート。慎重に握るハンドルと重みの増したペダル。
「いってらっしゃい」と「おかえり」の間で、自転車が再び物語のスポットを浴びる。
眠たげな小さい背中を乗せた保育園までのほんの少しの道のり、何気ないやり取りはドラマさながら。見慣れた通勤ルートはまったく新しい世界に思えてくる。
そしていつか、互いに成長して隣を走るようになる頃には、また違った姿を見せるはず。
自転車との距離感は、生きる速度や重心の変化をなぞるように変わっていく。
それでも、変わりゆく景色の中で変わらずに寄り添い続けてくれるのが自転車という存在だ。
バランス
バランスを取りながら、どこまで行けるか分からない道を進む。
無理に曲がろうとすると、倒れる。
前にしか動かない。
ルートもペースも、自分次第。
自転車を漕ぐことは、生きることに似ている。と、昔の偉人が言っていた。
平坦な道ばかりとはいかない。
前を向くのがやっとな日も、信号ばかりで何度も立ち止まらされることもある。
誰かに追い抜かれて焦り、そうかと思えば追い風に背中を押され、おどろくほど軽く進んでしまう。
間違えたら向き直ればいい。疲れたら立ち止まってもいい。それらすべてが「走る」ということなのだ。
目的地はひとつ、進み方は無数。正解は決まっていない。
まっすぐ走る人、寄り道を楽しむ人、スピードを競う人、景色を味わう人。
自転車にはその人の生き方がにじむ。
走ってきた道。たまに振り返ると、ずいぶん遠くまで来たなと思える。
Text: Sara Um