CULTURE

2025.04.24

BIKE TIME #journey

移動以上の自転車時間。
目的地ではなく、道そのものが旅になる。

BIKE TIME #journey

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自転車で進む

道草

時を撫でながら

自転車で進む

自転車で進む旅は、決して速くはない。

代わりに、バスや電車に運ばれるだけでは通り過ぎてしまうような風景が、存在感を持って目の前に現れる。そして、時間にも厚みというものを感じることに瞼があがる。

高架下の色褪せた落書きと、まだ日の浅い上書き。並木道に揺れる木漏れ日の形。信号待ちで隣り合った見知らぬ人。その一瞬の引っかかりが、旅を、点から線に変えている。

通過点は記憶に、移動時間は行楽時間へ。
速度より感じる密度、効率では辿り着けない道。
それが“最短”の存在しない自転車の旅が与えてくれる時間の価値だ。

速さではなく、深さで走る。

本当の旅は、目的地ではなく道程にこそ宿る。

道草

道草を食うとは、ときに目的を忘れて無駄に過ごしてしまった過ちのように扱われる。

しかし寄り道は旅を深める“間”であり、自分の本音と再会する時間なのだ。

急がないことで、考えごとが自然と浮かんでくる。誰かに見せたい風景、言葉にしたくなる感情。本当に行きたかった場所も、予定から外れたその先、寄り道の向こうに見つかったりする。

目的地だけが旅の醍醐味とは限らない。むしろ予定していなかったことが最も鮮やかに残り、生産性の対極にあるものが、不思議と心の奥を動かしてくる。

旅はいつも、目的地に着く前から心に刻まれている。

とりわけ自転車旅は、寄り道と脱線の連続だ。地図にない路地、看板もない分かれ道、予定外の停車。あらゆる所に存在する余白と余地。

日常生活ではルーティーンを優先しても、旅ならば、風の向くほうへ進んでしまえる。

この旅では、遠回りが一番の近道。

時を撫でながら

時を撫でながら進んでいるような感覚。

カチカチと鳴るラチェット音、風の重さ、道路のざらつき、その一つ一つが、流れていた時間に重なってくる。旅先の手触りになる。

始めから終わりまで、旅の時間そのものを味わうための相棒は、自転車こそふさわしい。

予定時刻も遅延も見送りもない。行くも帰るも、雨宿りするか否かも、すべて自分のペース。

パフォーマンスが勝負の時代、忙しく回る毎日に、数多のルートからあえてゆっくり進む選択が生む奥行き。鳴り止まない通知音から離れるほどのびていく一日の長さ。

覆い被さっていたものが一枚はがれていくように、 単なる移動手段だと思っていた自転車が、いつの間にか時間の感じ方を変えていることがある。

自転車での旅路は、忘れていた時間の感覚を取り戻させてくれる。

 

 

Text: Sara Um

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道草

時を撫でながら

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